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「恋愛狂想曲」第二楽章・第一小節
作詞 野馬知明
「恋愛狂想曲」第二楽章・第一小節

男は二十歳、貧乏楽士
有閑貴族の家庭教師
蛍窓雪案も実らず、脾肉の嘆き
見染めた女は名声ある楽士の娘
山白百合の高嶺の花
ならぬ恋とは知りつつも、磯の鮑の片思い

男は野心家、ジュリアン・ソレル
女の父親の紹介で
オーケストラをば指揮せんものと
女を打算で恋したものの
月夜に輝く瞳の奥の秘めたる媚びに萎える心
洋服の貧乏ゆえの汚れ皺
慕うは無邪気な恋の白菫

一蓮托生、唯一の財産
命の次に愛するピアノに向かい
幽かなランプの仄かな灯りの下
暗中模索、天稟の儘に羽根ペンを執る
切磋琢磨の友、安焼酎の酒精の馨
精神集中、その間隙に羽根ペンを擱き
黄色い汚点ある雨天井仰げば
屋根裏部屋に女の面てが宙に浮く
円満具足、そのただ中に現に戻り、
一気呵成、女のためにと作曲す
月光奏鳴曲に似て昧爽近くにできた曲
それを「恋愛狂想曲」と名づく

男は不眠不休でかの邸宅へ
意気軒昂、楽譜片手に勇み行く
唐草模様の鉄扉の門も厳めしく
右顧左眄、入るか入るまいか
男を無言の内に威圧する殷富の権化
貧しく恒産のない男の近寄り難き茨の屋敷

・・・どちら様ですか?
これは侍従の声
・・・はい、カプリッチョと申します。
・・・で、御用の向きは?
・・・はい、先生の謦咳に接し、曲を聞いて戴こうと、夜も眠らず、身を梟にやつし、ピアノの番人。
ランプの油を幾たび取り換えたことか。
どうか先生に、朝一番の謁を通じてください。
・・・では、暫時、お待ちください。
ご主人様はまだ睡郷の中、正夢は安眠の床の中、私は睡郷の国のレンブラントの夜警。
・・・それなら私は、先生を目覚ます一番鶏。
わたしの楽曲に感嘆なされる正夢を見るまで、サルーンの止まり木にて、お待ち申し上げましょう。
・・・ご主人様は寝室の中で曲を聞かれるのが常。
もし、お気に召したのでしたら、きっと螺旋の階段を降りてくるでしょう。
弾き終えたらこの部屋にてお待ちを。
今度の夜会に採用させていただくかどうかは、橋渡しのわたしがお伝えします。
ご主人様にこの旨を伝えてまいります。
では、少々、お待ちを。
・・・ああ、神よ、御加護あれ。
今行く道は、未知の道、乾坤一擲、のるかそるかの大勝負。
囀るは、勝利を告げる鳥か、千鳥か、勝鳥か。
庭園は、目覚めたばかりの寝間着姿、宵越しの帳に包まれて、深睡眠にして、微動だにせず。
奢侈な居間は壮麗な楽の巣、名声の城郭、
赤き絨毯に響きの泉、天鵞絨の長椅子に刺繍の繚乱,
薔薇の壁紙に花弁の乱舞、贅沢な室内に沈丁花の馨、レースの遮蔽に零れる陽光、
穿鑿好きな東雲の振り子は、目をしばたたく昧旦の静寂に、何時止むとも知れない音を響かす。
・・・いや、喜ぶのはまだ早い、カプリッチョ。
お前の今の喜びようは、孵らぬうちに雛を数えるようなもの、雌牛の胎内に蹲る仔牛を売るようなもの。自信過剰はけがのもと。悦び過ぎは失敗のもと。
・・・持つべきものは友と信仰、
神への感謝はサン・アンブロジオの教会堂の屋根を逆さにして受け止めても、零れてしまうほどの嵩。
・・・ああ、でも不安だ。
今までは自信満々だったが、この曲は果たして高名なるリチェルカールの嘆賞を得るに値するだろうか。
・・・いや、誰が聴こうとも、完璧の一言に尽きる。
思えば、この楽譜を手にして、幾度この屋敷の前まで来たことだろうか。
意気揚々、楽譜片手に勇み来たものの、蔦の絡まる鉄の格子が厳めしく、
躊躇逡巡したあげく、いつも負け犬のように尻尾を巻いて、踵を返してしまった。
それは、貧しき者を無言の内に睥睨する殷賑の権化。
・・・畢竟、ピサの斜塔から飛び降りるほどの勇気がなかった証左だ。

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公開日 2022/05/16
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