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「恋愛狂想曲」第四楽章・第二小節
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作詞 野馬知明 |
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「恋愛狂想曲」第四楽章・第二小節
嶄然と甦り男は音楽会に蘇生する
忽ちのうちに男は英雄ヴェートゥヴェン
天才モーツァルトの再来
逸材シューベルトの化身
人々は男に侮蔑を吐いたその同じ口から
餌を漁る雀のように喧噪と口々に叫ぶ
・・・尊敬に値すべき奇跡的新人
・・・神の手で創造された偉大なる芸術家
・・・百年に一人の天才的作曲家
女は夫の手を離れ男の許
全ての偽りの拘束から解き放たれ
幸福の絶頂にひとり遼東の豕
男の胸に全てを投げ出ししがみつき
その満たされた仕合わせにむせび泣く
だがそれも杖を失っためしい、累卵の危うさ
女はその時知る、ありとあらゆるものの
轟轟と音をたてる瓦解と崩壊を
愛の真実の炎に包まれた転落を
富と名声が男を囲繞する
男は絶えまなくコンサートを開き
頻繁に貴族の催す夜会に招かれ
絶大の好評を博し万雷の拍手を得る
もうこの世に男の才能を疑う者はない
豪壮な邸宅、多数の召使、瀟洒な馬車
最愛の女とのあいびき
だが男はもうこの世に真実の愛はないと悟る
そして愛情に払拭しきれない懐疑を抱く
あまたの夜会の招待状
数えきれない音楽会の督促状
玄関に山積された花輪、激励の手紙
それらが一体、男にとって何を意味しようか
富や名誉や激励や、諂いが
どれほど男の心の間隙を満たせるだろうか
男はもう作曲することはできない
女が男に溺れ体を捧げた時
音楽院の教授の職を、
国外への演奏旅行の招聘を、投げやり
男はついに長い羽根の筆を折り
音楽の都から、豪勢な邸宅から抜け出し、
女を夜明けのベッドの中に一人残し、
永遠の旅、終生の旅に出た
二頭立ての馬車に揺られ、
夜明けの肌寒さに震えながら、
男は白い息を吐きつつ呟く
・・・真の愛なくして何のための作曲か。
止揚された愛なくして何の芸術か。
女性を愛することと、それを拒否しつつ芸術に向かうこととがなくしては揚棄はされない。
芸術はすべてこの矛盾対立の下賜、引力と反発、事物が相互に否定し合いながら、
両者を包摂するより高次の統一体へと発展する。
これこそ、万有の真相、宇宙の原理、愛とは肉体への愛着ではない、
男と女の乳繰り合う慣れ親しみではない。
愛は肉欲を超絶したもの、
芸術を志向する者は、愛をより崇高な絶対へと高めなければならない。
男は再び酒場の馴染み
燻り続ける熾火のようにグラスを見つめ、
そして思う、
・・・不幸は幸福のためにある。
常に不幸であればそれが常態となり、それ以下へと転落する危険を負わずに済む。
そこは場末の酒場、人生の終着駅
想い出の走馬灯も明かりが消えて停止したまま
動いているのは容赦のない無情の時だけ
男は昔、ジプシー娘と観覧車で恋を語った。
男にとってはあの一晩限りの恋が、
世間で言う愛であったように思われる。
そう、世間で言うモノはあってもなくてもどちらでもいいようなものばかり
そのくせ世間で言うモノは、
男の双肩に大きな鉄アレイのようにのしかかる。
・・・だんな、一曲いかが?
と風琴の男。
・・・おお、君こそが世間で言う真の芸術家、しかし、私は旦那なん歳ではない。
それに、世間でいう高尚な芸術なぞ、全く解さない男、
世間で言う美しい愛なぞも、全く解さない無味乾燥な人間、
悲しみも売却した、愛情も質屋に入れた、魂すらも悪魔に手渡した、その金全部で酒を買った。
手元には今一銭の金もない、おかげで今は宿なし。
男は泥酔、深酒、話を続ける。
・・・そう俺は平和と繁栄に巣食う青二才、
貴方には悪いけど、私は流しの風琴弾きよりも瞽女の方がいい、年増女の方がいい、
この身の不条理と矛盾撞着を覆い包む育ちの悪い、だが情の深い女の方がいい。
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