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「恋愛狂想曲」第二楽章・第二小節
作詞 野馬知明
「恋愛狂想曲」第二楽章・第二小節

・・・でも、あの人のことは諦めたほうがいいのだろうか。
高名な楽士の娘。結婚話は山ほどあるだろう。
譬えないとしても、あのリチェルカールが、こんな貧乏な三文楽士の嫁にするはずはない。
・・・だが、この曲は、胸に後生大事に抱き抱えているこの曲は、あの人のために作曲したもの。
・・・いや、矢張り諦めよう。傷は浅いうちに手当てした方が直りは早い。
フランスじゃ「自惚れない人間には快楽がない」というけれど。
俺のはフランス野郎以上にものほど知らずもいいところ。
・・・蒼く高い夜明けの空のような瞳、底知れぬ輝きをたたえ、目覚めたばかりの生々しさ。
癖のないまばゆいばかりの金髪、肌は象牙の白さをも欺く。
そして、あの朱色の深海珊瑚の様な唇、赤色大輪の五辯花、椿ですらその前では萎えてしまう。
・・・いいかよく聞け、しがないピアノ弾き、あの娘はかの有名なリチェルカールの令嬢なのだ。
しかも一人娘ときている。親が目に入れても痛くないのは当然のこと。
赤の他人の俺ですら痛くないという可愛らしさ。
もし、あの娘に気があるんだったら、悪いことは言わない。
そんなものは屑籠にでも捨てたほうがいい。
屑籠じゃ、勿体ないというのなら、ベルリンのチヤーガルテンにでも捨てに行くがいい。
・・・ああ、だが、そんなことが出来得ようか。生爪を剥がす様なことが出来るだろうか。
俺は、ついこの間まで二十歳の家庭教師、子供相手の三文楽士。
自らを天才と信じていたが、臥薪嘗胆も成就せず、堕天使の浩嘆、
いつも見る白昼夢は、大音楽堂の指揮台に立つ己の晴れ姿。
それがある日、ラ・ミラノ座のヴァイオリン弾きのグイードに実力を認められ、
名伯楽の紹介でオーケストラの一員となった。
そして、あの音楽会で、あの人に出会った時、どうにもならない運命に陥った。
・・・運命?本当に運命なのだろうか?
何しろ、運命の女神は盲目だというから、誤った運命がふりかかったのかもしれない。
・・・ああ、あの人が音楽会の名花でなかったら。
少なくとも、リチェルカールの令嬢でなかったら、これほどまでに胸を痛めることもないだろうに。
肌は冷たく人を寄せ付けないモンブランの万年雪の白さ。
瞳は情熱的なアドリアの海の碧さ。
嗚呼、今でも目の前にいるかのようにはっきりと覚えている。
あの人は前から六番目の席に座っていた。
いや、座っているというよりは、その美しさのために、天使の様に宙に浮いていると言った方が相応しい。
クリーム色の、右側に菫の花の刺してある鍔の広い帽子を被っていた。
・・・もうよそう。諦めるなら今のうち、今ならボヤですむというもの。
あの娘を想ったところで何にもならない。刃のない剣。想っただけの想い損。
そんな気を持つのだったら、夜空の星でも数えたほうがましかもしれない。
あの娘は、金輪際、見なかったことにしたほうが利口かも知れない。
・・・ああ、一体どうしたらいいのだろう。気が狂いそうだ。
でも、お月様を手でつかむようなことは、よした方が、いいのかもしれない。
・・・でもそれは、全く美を解さない無粋な人間になれということだ。
まるで、何かに吃驚しているかのように大きな瞳。
深く澄み、緑の山々に囲まれたマジョレー湖のように青い。
形のいい、つつましやかな小鼻。
高貴で優美で、余りの完璧さのために、オリュンポスの神々の嫉妬を受けているに違いない。
その下に甘くて酸っぱい桜桃のように、小さくて赤い唇。
上唇は岸辺に咲く一輪の花の様に可憐で、下唇は妖婦のようにコケティッシュ。
そして、銀色の産毛に包まれた柔らかな頬。
その中央にできる両の笑窪は人に安らぎを与える。そう、いうなれば、天使の微笑み。
・・・もう、よそう。実際自分でも歯が浮いてくる。
聞き手がいれば、さしずめ耳がだるくなるところだろう。
よしんば、高い踏み台が手に入って、お月様に近づいたところで、そんなものは知れている。
ふとしたことで、お月様がスーパームーンのように地上近くに降りてきたとしても、
すぐに雲がかかるだろう。そう、太陽の神・アポロが嫉妬して。
だがそれも、アポロの仕業ならまだいい。せいぜいおぼろ雲程度だろうから。
ところが、ゼウスだったら大変だ。雷雲が広がって、俺なんか人たまわりもない。
・・・だが、それは本心だろうか?もしあの人が、僕のことを愛しているとしたら!
あの時、目が出あうとすぐ、あの人はすぐ目をそらした。
でも、あの逸らし方は、侮蔑や嫌悪ではなかった。
あれは、確かに恥らいに違いなかった。
そうだ。あの人を僕の足元に跪かせればいいのだ。
あの人の愛を乞おうとするから絶望的になるのだ。
あの人に僕を愛させればいいのだ。恰も神に対してあの人が拝跪するように。
何もしないで、諦めるのは男のくず。犬畜生にも劣るやつ。
僕は、あの時のあの瞳を覚えている。美しさはあるけれど、うっとりするような潤いがない。
その潤いのヴェールを通して燦然と輝く物を、あの人は持っていない。それを僕が与えてやるのだ。
・・・夢、夢、夢。これは夢だろうか?ひょっとしたら、とんでもない妄想かも知れない。
あの人が僕を愛してくれるという保証が一体どこにあるのだろうか?
これが夢想ならば、それは、それでいい。いつか目覚めることがあるだろうから。
でも、ほどほどにしておいて、すぐ忘れなくちゃいけない。
いつまでもその夢を頭の中においとくと、本当に見なきゃならない夢までが、
その夢に邪魔されて、見られなくなってしまう。
そういえば、獏というやつは、好き嫌いが多い。
惚れただの、腫れただのといった類はまるで食いたがらない。
そんな女々しい夢は、げて物食らいのバクですられ、年老いた魔女よろしく敬遠する。
一度口に入れたとしても、すぐに吐き出してしまうだろう。
そんなにその夢を見ずにいられないというのなら、
いっそのことめしいになってしまったほうがいいのかもしれない。
・・・しかし、夢とは一体何だろう?夢は本当に実現されないものなのだろうか?
そういえば、デンマークの王子、ハムレットも言っている。
「貞節の力が美を自分と同じものにするよりも、美の力が貞節を淫欲にしてしまう方が、ずっと早い」と。
・・・だが、それは昔の話だ。デンマークの王子の出鱈目な格言。
それに第一、ハムレットは気違いだった。
・・・いやいや、これは真理だ。あの人はやがて社交界の無味乾燥な空気に毒されるだろう。
可哀想に、高慢で淫乱な伯爵やら公爵やらの甘言や甘ったるい囁きに唆されて、
多情なドン・ファンの餌食になるに違いない。
純潔無垢な娘は、ひとたび男にだまされると、
自暴自棄から、娼婦のように身を持ち崩すか、尼僧のように、
この世のすべての男という男が、獣か悪魔であるかのように思って、
男に対して必要以上にかたくなになる。
そして、その殻を、海辺の貝の様に固く閉じ、二度と再び開こうとはしない。
嗚呼、もし、そうなったとしたら、何と哀れだろうか。
ダイヤモンドのように堅牢で、至純な水晶の様に透明な愛を知らずに、
一生蕾の儘で、愛を知らない片端な人間として終わるのだ。
・・・だが、その仕事は、ほんとうに僕に与えられたものなのだろうか。
こんな考えを、後生大事に持って居ると、何時も頭の中にばかりあるものだから、
空気の流通が悪くなって、鼻も向けられないほどに、腐ってしまうにきまっている。
さあ、そうなったら大変。もう遠くで眺めているだけでは到底収まらなくなってくる。
ところが、現実にはそうはいかない。
とすると、頭に穴でもあけないと、腐ったものが出ていかないから苦しくって仕様がない。
仕舞には、ヴェルテルのように、銃弾を頭に打ち込まなきゃならない羽目になる。
命だけは、大切にすべきだ。女なんかより、まず大切なのは自分自身。
・・・ああ、でも、そんな年寄りじみた説教が何になろう。
あの人の、やるせない面差しを、気だるそうな、うんざりしたような瞳を見た者にとって、
説教などが何になろう。
あの表情は、本当の美を審美する人間の目にしか映らない。
真にあの人の幸福を願う者の心の目にしか見えない。
ああ、あの人には、真の愛情が必要なのだ。
どうしても、あの人に、人生の喜びを教えてやらねばならない。
あの人は、いまでこそ、自分では気づかずにいるけれども、
きっと、あの瞳の奥で真実の愛を求めているに違いない。
あの実のない造花のような、虚ろな美しさを、内面から染み出る愛の賛歌で充たさなくてはならない。
あの操り人形のような、脆弱な美しさが、僕の捧げる愛で、あの人自身のものになった時、
あの人は、人生の尊さを真に知るのだ。
それをできるのは、この僕をおいて、他に、一体、誰がいるだろうか。
・・・しかし、高く登る者は強く落ちる。でも僕は、ウナギを膝で折るようなことはしない。
だが、今こうして、手をこまねいて傍観しているのは、美と恋の女神ヴィーナスに対して、
最大にて最高の不誠実。
一刻も早く、あの娘を目覚めさせなくてはならない。
それがヴィーナスからの指令なのに違いない。
そうと決まったら実行だ。世間の常識とか、行為に対する躊躇いとかは、我々すべてを憶病者にする。

本作品の著作権は作詞者に帰属します。
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歌詞タイトル 「恋愛狂想曲」第二楽章・第二小節
公開日 2022/05/16
ジャンル その他
カテゴリ 恋愛
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