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頭の中の世界と現実の摩擦について
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作詞 RAi. |
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幼い頃によく考えていた。なぜ頭の中では言葉が洪水のように押し寄せるのに、いざ己の口から出そうと思えば私の感情を押し出す言葉がないのだろうか、と。そして大人になり、私は理解した。言葉を多く知らぬ幼子のうちに、胸の内を適切に表現し伝えることは出来なかったのだと。
しかし今はどうだろう。激情に渦巻く心を照らす灯りはなく、暗闇でただ自分の感情も理解出来ず、身動きも取れないまま。言葉にならない、今知る言葉では到底表現出来ないほどのことが起こっている。
人はそれを絶望と呼ぶのかも知れないし、狂気と呼ぶのかもしれない。悲しみや苦しみを随分昔に通り越してしまったことくらいしか、今の私には分からない。
自分を大切にしなければいけないよ、そうでなくては他人にも優しく出来ない。そんな正論が、私は大嫌いだ。正論は常に正しいとは限らないし、その正しさがいつも自分を助けてくれるわけじゃない。時に修復不可能なまで、正しさは人を傷つける。
誰もが当たり前に普通に生きられるわけではない。暗い場所でしか生きられない時もある。誰かを傷つけ、誰かを憎み、誰かを恨むことでしか正気を保てない者もいる。
綺麗事では、何も変わらず誰も救えない。それは他人を自分の思い通りにコントロールするだけだ。必死で生きている者を否定することは、死ねと言うようなものだ。
知識だけが豊富でも、ただ想像上の現実しか分からない。経験しなければ、本物の現実を知ることは出来ない。そうして自分の答えを導き出しても、他人に押し付ける正義は自己主張とは全く別のもの。その正義は、ただの自己満足の暴力だ。善も悪もない。この世にあるのは、事実だけ。
きっと、ずっと、想像するより全てはシンプルに出来ているのだと思う。物事を複雑にするのも簡単にするのも自分次第で、そうすれば見える世界はガラリと変わる。どちらがいいかは自分が決めればいい。好きな方を選ぶのが、多分、一番いい。どうすればいいか、じゃない。私は、どうしたいのか。
直感に従って行動すれば、行き着く先は望む世界だ。
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